不妊治療日記

このブログは、私の行った不妊治療の日記です。
必要な人が見られるように、通常のブログとは分けて開設しました!

 

医学的な事は、私なりの見解もあるので、これが全てということではありません。


2016『続く注射の終わり』最終回
卒業はしても、注射は続きます。
ジュリナ錠は卒業と同時に終わり、次はバファリンが終わり、エストラーナテープが終わり、最後にプロゲステロンの注射が終わります。
お尻に毎日注射を打ち始めて、刺しどころが悪く痛いときとスムーズなときと、針を抜いたら血が噴き出すときや、家で打ったり車で打ったり、試合会場で打ったり、色んな所で打ったな〜。
悲喜こもごもです。
注射は10週目まで続きました。
終わる1週間前から、半分の量になりますが、やる事は何ら変わりません。
トータル約3ヶ月、だんだん手慣れて、流れるように打てるようになり、これもまた、特別な任務を任されている二重スパイ的な感覚で楽しんでいました
最後の1本を打つときは感慨深いのと、薬が全部終わり、心拍が止まってしまわないか、産婦人科での初診までの間本当に不安でした。
私の中では、最後の注射が終わった時が不妊治療の終了だと思いました。
だからこの日記もこれで終わりになります。
無事に妊娠し、安定期にも入り、妊娠報告もできた今だからこそ思える事、感じる事が沢山あります。
不妊治療と仕事の両立ができたのも、周りの理解と協力があったからでした。
仕事を休み、家でゆっくりできるのも、主人が仕事を頑張ってくれ、家事なども私のペースでやらせてくれるからです。
お金の事も、短期間で結構な額が出て行くので大変です。大変でしたし、今も大変です。
よく、「金持ちだね〜もしうちなら無理だわ〜」と言われましたが、うちも無理です。でもそれしか方法がない場合、できるように何とかするし何とかなります。
助成金も出るし、私達の場合は1/3くらいは後にまかなえました。
また私達の不妊治療がラッキーだったのは、子供ができない明確な理由があった事です。
終わりなき不妊治療と言われますが、なぜできないのか、いつ終わるのか、先が見えない治療をされているご夫婦は、本当に辛いと思います。辞める時も自分の意思です。
一言で不妊治療と言いますが、そのパターンは夫婦の数だけあると思います。
私はみんなのおかげで、恵まれた治療が出来ました。
まだこれから何が起こるかわかりませんが、何が起きてもちゃんと受け止め、進んでいこうと思います。
みなさんありがとうございました!

2016年『卒業』
妊娠8週目を迎え、病院を卒業になりました。
最後は院長先生直々に、まだおめでとうは早いですが、ひと段落ですね。と、
よかったよかったと何度も言ってくれました。おめでとうと言いたいのをこらえて言ってくれていました。
でも、真剣に釘を刺された事があります。これはのちにどの産婦人科に行っても言われたことなんですが、
顕微授精で初産で双子の場合(私達のようなケースになった場合)、離婚率が1番高い。という統計がすでに出ています。
って言うんです!!
離婚までいかなくても、家庭崩壊したパターンもイヤってほど見ています。
だそうです。
それほど大変なんだと、旦那さんは本当に奥さんを支えてあげて下さい。
という事でした。
引き締まった気持ちで卒業しましたよ。

2016『心拍確認』
よかった!2つとも強く心拍を打っていた。本当に、自分のお腹で起こっている事だと思えない、不思議な感覚だった。
本当にホッとした。
今日からバファリンが1/2の量になる。
そして来週には不妊専門病院は卒業になる。長かった〜。

2016『出血』
明日心拍確認というときに夜中に鮮血の出血!焦りまくり緊急の電話をしまくり、結局救急車で救急病院へ行く事になりました。結果、全く問題ありませんでした。またもや、この時期の出血はよくあります。あまり気にしないように。とのこと、
度々スンマセン、、、

2016年『流産を経験して』

年明けの移植で、妊娠7週目くらいに流産してしまったのですが、

私の場合、最初の心拍確認の時点で、本来は110くらいある心拍が、72くらいしかありませんでした。
でもまだこれから強くなる事もあるのでと言われていましたが、翌週の検診で64くらいになってしまいました。

これはちょっと厳しいですね、ここまで来ると、もう、、、。と言われ、3日後に最終的な決断をするために主人と病院へ行きました。


私のやっているホルモン補充移植は妊娠10週目まで完全に薬の力で胚を育てていきます。着床して初期の頃は特に。
だから薬を止める=胚が死ぬ。
という事です。

先生は、医者の立場から、胚の心拍が止まるまで薬を勧めますが、

その都度、弱くなっていく心拍を直接見て、先生から「前回より弱くなっていますね。」という言葉を毎回聞くのは私です。

主人も辛いでしょうが、私とは違った辛さでしょう。

その時初めて先生から話を聞いた主人は、後少しだけ薬を続けてみようと提案しました。

主人の気持ちも分かるので、あと1週間薬を続ける事にしましたが、私にはすごく辛かったです。

ちなみに、
よく、この時期の流産は、自然妊娠の場合は気付かずに起こっているものだ。といいますが、確かにそうかもしれませんが、7週目の流産でさえ、痛いし血の海になるので絶対気付くだろぉ。というのが流産自体の感想です。

2016『妊娠後検査』
妊娠陽性だと、病院の予約が“妊娠再診”という項目で予約するようになります。
これは結構テンション上がる変化です。
数値での判定から1週間後、胎嚢が確認できます。
1センチくらいの黒い丸が2つ。
よしよし。
この時の胎嚢の形と前の子の胎嚢の形が違いすぎて、見比べてしまいます。医学的には、形は関係ないと言われますが、やはり、この形だからダメだったんだろうかとか、やっぱりまだ色々考えて悲しく、比べてしまうことを申し訳なく思ってしまいます。
とりあえず、心拍が確認できるまでは全く喜べない精神状態に。

2016年『妊娠判定』
この時期の判定方法は、尿検査と血液検査で行われ、数値での判定です。
βHCGっていう数値が100以上なら妊娠だそうです。
私は1000あった!ありすぎだろう!
とりあえず、妊娠していました。
よかった。
この日記は2016年分から日付を付けておりません。
それは、今年の初めに行った移植で、流産をしてしまったからです。
染色体異常で、誰のせいでもないと言われている早期流産でした。
今書いているのは2回目の移植の日記になります。
この日記は、もう流産の悲しみとか悔しさを乗り越えられたから書けるようになったんですが、それでも日付で追ってその時の事を振り返るというのは、流れてしまった赤ちゃんにも悪い気がするし、その事は私達両親がずっと忘れなければいいと思うので、このような形で日記を書く事にしました。
最初の妊娠数値は500だったんですが、今回1000というのは、めちゃくちゃ妊娠!という事ではなく、双子だから1000なのだそうです。
日本の医学法?は最初の移植は1つで、2回目以降は2つ移植できるようになるそうです。
だから、今回は2つ移植した。という事です。
ちなみに、何個入れようと手術代は変わりません。
妊娠陽性だと、妊娠おめでとうございます用紙をもらいます。
そこには、出産予定日とこれから食事や行動で気をつけることと、早期流産の案内が書かれています。
それは、
嬉しい気持ちはわかりますが、この時期は流産の可能性があるのも事実です。妊娠報告は、まだされない事をお勧めします。
という内容のもの。
とは言っても!と思ってしまうのも人の心情。でもこの内容の意味を痛いほど分かるので、安定期に入るまで、血縁以外には言わないと夫婦で決めました。
今日からエストラーナテープを下腹部に2枚貼るようになります。

2016『異変』
移植から1週間、前日からおりものがちょっとピンク、そして今日のお昼に微量だけど明らかな鮮血が出た!ビビった!
ドキドキしながら病院に電話。
「出血はどのくらいですか?」
「ちょっとです」
「出血は続いてますか?」
「いえ」
「痛みはありますか」
「いえ」
「この時期のそういう出血はよくあるので、あまり気にせず、もうすぐ診察日なので、続くようならまた連絡下さい」
との事でなだめられ終了。
のちにこの出血は着床出血という事が判明。
そして夜に激しい嘔吐と下痢、つわりかと思ったけど、のちにこれはラーメンにあたったという事が判明。
人騒がせな・・・

2016年『途中経過健診へ』
2日後に経過を見るため病院へ。
採血と超音波。
体調は問題なく、超音波で測ったら、子宮膜の厚さが15.1ミリだった。
よいよい。
基準は8ミリ以上だと問題ないそうだ。
この間も引き続き
マルチビタミン
葉酸サプリ
鉄分サプリ
ジュリナ8錠
バファリン
プロゲステロン
を続ける。
3日後にもう一度診察して、次は妊娠判定!

2016年『移植!』
移植するには尿を沢山溜めておくと移植しやすいそうなので、我慢我慢!
移植は自分で手術台に登り、麻酔もせず行われます。
移植は間違いのないように、解凍担当も2人いて、名前を指差し確認で何度も大きな声で行います。
ちょっとびっくりします。
そしていざ移植。
画面に移植される胚が映し出されます。
実際の大きさは0.2ミリだそう。
それをスポイトでピョっと吸い、ピョっと私の子宮に移植します。
ほんとにこれだけ!
台に寝転んで2〜3分で終了!
いや〜、すごいね。
今までやってきた色々な事が、2〜3分に凝縮!
結果は2週間後!早い!
今回は(笑)主人が連れ添ってくれたので、ラーメンを食べて帰る。
これで無事にいったら、子供らが初めて食べたのはラーメンって事になるかなぁ。
子供達が大きくなったら家族で同じお店に食べに来たいな。

2016年『薬様様』
移植3日前からデカトロンというステロイドも飲みます。妊娠中にステロイドなんて!と思われますが、移植直前の仕上げみたいな感じかしら?
着床しやすくする作用があるそうです。
マルチビタミン
葉酸サプリ
鉄分サプリ
ジュリナ8錠
デカトロン
バファリン
プロゲステロン
これだけの薬を毎日摂取!
薬様様!

2016年『注射スタート!』
薬が始まるともう移植までガッチリ日取りが組まれ、そこに向けて加速していきます。
今日から錠剤にプラス注射が始まります。いよいよ注射です!
移植日の1週間前から注射です。
プロゲステロンという成分を摂取します。普通の注射針でお尻へ筋肉注射になります。
移植が決まると、手術代の請求がきます。いろいろドキドキ!

2016年『移植に向けてスタート2』
ピルで一度止まった生理が予定通り来たので病院へ。
ものすごい大量の薬をもらう。
ジュリナという薬が主で、これでどんどん膜を厚くしていくようだ。
このジュリナを
朝1錠
昼2錠
夜1錠
寝る前にバファリンを飲む。
というサイクル。
この頃から葉酸とマルチビタミンも摂って下さいと言われたので、サプリメントで補う。
しかもジュリナは1週間経ったら
朝2錠
昼3錠
夜2錠
に変わります。
この頃はなんだかんだまだ外出しまくりだったので、飲み忘れや数を間違えないかもう毎回緊張のなか飲んでました。

2016年『移植に向けてスタート』
そんなこんなで、生理を待っていざ病院へ。
採血と超音波をやり、生理3日目から飲むピルをもらう。
これでまた生理を止めて、また人工的に生理を起こすという作業をします。
採卵時に飲んだピルと同じもので、また若干の倦怠感と気持ち悪さが伴う。

2016年1月4日『産休に入り』

無事に自主興行を終えて、まだまだ妊娠してないけど1月1日から産休に入りました。いいタイミングで生理が来たので満を持して病院へ。
しかし!
病院では年末にある決定をくだしたのです!
 
以下ブログより抜粋
 
年明けて少し落ち着き、病院にも行って、大体の計画が見えてきたのでご報告です。

今私がやろうとしているのは、顕微授精という妊娠方法で、今月の胚移植に向けて昨年から調整してきました。

移植の方法は、

・自然周期移植
・ホルモン補充移植

というものがあります。

昨年末までは、生理が28日周期で来ていて、排卵にも問題ないのであれば自然周期の方がよいと病院では勧められてきました。

でもド年末、自然周期より、ホルモン補充周期の方が妊娠率が高いと、今かかっている病院は、正式に判断したようです。

だから今回の排卵ではなく、今月の生理からホルモン補充移植へ向けて調整していくことにしました。

結果、自然周期ならば今月末には妊娠したかわかる計算でしたが、
来月以降になりそうです。

となると全てがうまくいったとしても、年内の復帰はなくなるなぁと、
コレだったら今月も試合できたなぁと、若干不満はありますが、
まぁ一ヵ月ゆっくりする期間が延びたと思って、年明けからしていた禁酒を解禁!昼から飲んでやったぜ!
で、ここからは、不妊の話し、

自然周期移植かホルモン補充移植か、顕微授精する人には、何度か訪れる中の最大級の選択の一つです。

私たちもまさに、自然でやるなら今、ホルモンなら来月、と選択を迫られました。

何を悩むか・・・これは日本人特有の倫理感もあると思います。

自然周期は字のごとく、そこまで薬に頼らない自然な周期の移植です。
でも妊娠率は場合により低いとされています。

ホルモン補充は、字のごとく大量の薬の摂取と移植の5日前から筋肉注射でホルモンを補充していきます。
医療費も高くなります。
が、自然周期移植より妊娠率は高いとされています。

私の一番の悩みどころは、

今月末には妊娠していたかもしれないのに、来月になるのはなんかなぁ。
医療費高いってどのくらい?
妊娠率高くなるってどのくらい?


旦那の悩みどころは、

今まで自然周期がいいって言われてやってきたのに急にホルモン勧められても・・・。
薬漬けより自然の方がいいんじゃないか。
薬と医療費のリスクがあって妊娠率高くなるってどのくらい?


回答は、
医療費は数万円の差でした。
妊娠率は、個人差もあるので、“高い”とだけしか言われていません。


ホルモン補充移植を選んだ決め手は、

ここまで医学に頼ってきたんだから、とことんまで頼ってやろうじゃないか。
少しでも妊娠率の高い方にしてみるか。

でした。

でもこれはもう、やってみないとわからないのです。
もしかしたら、自然周期でも授かるかもしれません、
いろんな病院もあるし、医者もいます。夫婦それぞれの考えもあります。

どれも正解だし、たとえ妊娠しなかったとしても、間違った選択をしてしまったわけではないと思います。

もし、ああしていれば・・・
は、ついて回るものですが、なるべくそう思わず、気楽に待っていようと思いま〜す。
2015年10月21日『凍結の数』
またもや先生の予言通り自然の生理が来た。
採卵して、痛かったり貧血で倒れたりしてもちゃんと10日くらいで生理がくるなんて、女の体はすごいな〜。
 
今回受精した中で、凍結した胚は5個だそうだ。
 
受精したのは11個・・・、
 
残りの6個は、移植をしてもまず着床はしない胚というで、凍結しても意味のない胚だったそうだ。
 
採卵が21個
受精が11個
移植可能な胚まで辿りつけたのが5個
 
すごいな〜。
 
私は顕微受精で、順を追って目で追えるけど、本来ならこの作業は見えない体の中で行われている事なんだもんな
しかもその中のたった1つに絞られるんだもんな〜
 
5個という数に眉をひそめていると、
「5個が優秀ですよ。たくさんある方です。」と言ってくれた。
 
そうだよな、この時点で、ずべてうまくいったら5人兄弟姉妹になるって事だもんな。
 
その胚も順番があって、
 
AA
AB
BA
BB
BC
 
でも凍結できる時点で全て優良なんですって、これは移植をする順番の目安にするくらいに思って下さいと言われました。
 
実際、AAが着床しなくてBCがうまくいく場合もあるそうで、これもまた未知の領域なんですね〜。

2015年10月16日座薬と貧血

この時期は、3〜5日ごとに病院へ。
もう採血はなく、超音波で経過観察。
私はひたすら痛みに耐え、痛みとうまく付き合う時期、自転車に乗ると下腹部が圧迫されて痛かった。
 
我慢せず座薬座薬〜
 
しかし昨日貧血で立っていられなくて倒れてしまったので、その旨伝えて念のため採血。異常はなかった。
 
 
コーディネートさんと今後の移植の話をする。
 
年末年始の生理のタイミングで移植を進める事になった。

2015年10月12日『術後の受診』

気が抜けたのか、診察を忘れていて病院からの電話で急いで駆けつける。さらにお金も忘れて後日精算にしてもらう。
 
術後の経過を見るのと、採卵して受精した胚の状態の説明を受ける。
 
術後の経過は問題なかったが、ただ痛かった。この日も試合があったので、しばらくは座薬を入れて試合をしていた。
 
私は休業してから移植をするので、胚は凍結しなければならないのだけど、本来なら受精した胚を凍結せずすぐ移植するのだそう。でも採卵後、子宮が腫れてすぐ移植できない事もあるそうだ。
結局私は、術後に子宮が腫れたので、どっちにしても胚は凍結しなければいけなかったようだ。
 
でももし凍結しなければ、
旦那の精子摘出から胚移植まで1ヶ月ちょいでできてしまう!さらに移植から2週間で妊娠結果が出るから、顕微受精に踏み切って上手いこといったら2ヶ月で妊娠って事になる!医学はすごいよ。
でもこの期間に出て行く金額はすごいけどな。
 
不妊治療にはいろんなパターンがある、私の場合は、21個採卵できて、うまく受精した胚は11個だった。
これは沢山受精した方なんだそうだ。
 
凍結する胚は、受精して3日目か5日目かで、その後の着床率が違うと説明を受けた。
 
5日目の胚の方が着床率は高いそうだ。
 
なんでかは説明を受けたけど、よく理解はできていないと思う。
 
5日までしっかり培養?して細胞分裂をさせた方が着床しやすい?
みたいな事だったと思う。
 
でも全部の胚が5日で凍結できたり移植できたりする訳ではなく、やはり年齢やいろいろな問題で、5日まで待てない場合もあるそうだ。
 
これが2日でも4でも6日でもダメなんだそうで、3日か5日、だそう。その見極めというのはお医者様に頼るしかないのだ。
 
でも本当にいろんなパターンがある。率が低いと言われていても、それで妊娠する場合もあるし、今の医学はすごいけど、未知な領域というのはあるのだなと感じる。

2015年10月『採卵を終えた時』

手術当日主人が迎えに来てくれなかった事が大きい。迎えにというか、途中まで来たけど、麻酔明けの私とやりとりがうまくいかず、怒って引き返した。
 
今は、主人はこの時の事を凄く反省しているようなので、もうあまり掘り返すのはやめてあげようと思う。
 
でもこれだけは言いたい、精子を採った後でも、旦那さんがやる事はある。それは、奥さんを支える事。
 
仕事と炊事家事と採血と注射と毎日の通院で、限界ギリギリで、ちょっと揺れたら一気に溢れてしまう状態の奥さんを、支えてあげなくてはダメなのです!
 
その時の私は主人の前でも弱音を吐かず、見せなかった。いつの間にか主人の中でもそれが当たり前になっていたんだと思う
 
いつも元気なのに本当は弱っている私を受け入れられない、認めたくない。こんなの嘘だ。大袈裟だ。
という防衛?心理が働いたんじゃないかと分析する。
 
日頃元気な奥さんを持つ旦那さんにはよくある事なのかもしれない

2015年10月8日『採卵当日』

今まで行ったこのとのない病棟に行き、呼ばれるのを待つ。
手術自体は20分くらいで終わったけど、全身麻酔なので覚めるまで寝かされる。痛くて目がさめる!痛い!
凄く痛い!すかさず看護師さんを呼んだくらい痛い。下っ腹に鉛玉が入ってて、それがバウンドしてるような、なんかよくわからないけど、術後凄く痛かったのを覚えている。帰りもいろんなところに座りながら、時には芝生に横になったりしながら、やっとの事で帰った
 
結局21個採取できたそうだ。
 
その日はずっと具合が悪かった。
立ち直れない精神状態に追い込まれたのも原因の1つだったのだ・・・それは

2015年10月7日
『いよいよ』
明日に採卵手術を控え、今日は朝と夜に病院に行き採血と超音波。
今まで何本の針を刺したのか、、、。
でもこれは自分で選んだ事だし 、病気でこういった治療を受けて頑張ってる人がいるんだから、私がうじうじ言ってたらダメだと思い直す。
明日の手術は全身麻酔なので、食事時間の制限がある。
朝早いので起きられるかにドキドキ。
2015年10月6日
『う、腕が・・・』
病院で打ってもらう注射もある。
でも毎日の採血で、腕は青紫で針のあとだらけに。
両腕あっても足りないよ。
「跡になってきましたね〜」という看護師さんのふとした言葉に泣きそうになる。

 

2015年10月5日
『ストレスと充実感と』
採卵が近づいてくると毎日のように採血と超音波を受けなければならず、土日も含まれるため、この時期の病院と試合の調整は本当に大変でした。どうしても採血に帰ってこれないため、お断りした興行もあります。
分単位で電車など調べ、主催者さまに協力してもらったりしてなんとか乗り切ってきました。でもこの仕事の充実感が、毎日の採血と注射のストレスを和らげてくれていました。
採卵の前日は朝と夜の2回病院に行かなくてはならない。
採卵手術ってすごいんだなぁと思う。
2015年10月4日
『山場』
この日は日曜日、採血をし、この日15時に打たなければいけない注射をもらわなければいけない大切な日です。
しかし、この日は昼からOZさんの大阪大会、、、。
朝一で病院へ、お会計も後日にしてもらい、タクシーとダッシュで移動、新幹線でもずっと交通状況をチェックして、慣れない大阪の網の目のような電車をかいくぐり会場へ。ご配慮で私の試合を後にしてくれて、本当に、ご理解とご協力あっての不妊治療です。
無事に試合を終えて、15時の注射。これは、インスリンの注射器ではなくて、いわゆる注射器。で、腹にさします。
こんなの絶対無理と思っても。
人はたくましいですね。
なんか大事なミッションを任命されているような感じで、世界を救う薬を運ぶ的な。
ある時はコミカルレスラー、もう1つの顔は秘密組織の女スパイ。的な。
こんな事思わないとやってられないっていうか、楽しんでるっていうか。
たくましくてポジティブな性格でよかったなと思います。

 

2015年10月1日
『ハイクオリティ』
この日の超音波で、あまり卵胞が育っていないとのこと、でもこの段階では全く心配いりません。と言ってくれたけど、こっちは「え?大丈夫?私の子宮年齢が低いんじゃ」などとても気になります。
でも、先生が大丈夫っていうんだから大丈夫だ。
血液検査の結果が続々と上がってきます。今日は血中にストレスをどれだけ抱えているかという結果が出ていました。
血中ストレスは、
低度・やや低度・適度・強度・かなり強度
の5段階で分けられており、私は、限りなく“かなり強度”に近い“強度”でした。
着床には関係ないですが、強すぎるので下げましょう。と、サプリメントを勧められました。
このサプリメントはすんごい効果があるそうで、世界のアスリートも常備しているそうです。
ある実験で、マウスにこのサプリメント成分を3ヶ月間与えたそうです。
3ヶ月後、マウスの運動量を測ったら、与える前より10倍違ったそうです!
自分でくるくる回すアレの回転数が10倍!
きっとこの時期の私の試合は、すごくハイクオリティだったに違いありません。

 

2015年9月28日
『未知の領域』
ピルが終わり、おそらく4日後に生理が来ます。と言われ、待っていたけど4日経っても来ない!
前回は預言者のように当たっていたので、1日でも来ないと、やっぱりダメなんじゃ、、、とか、どっかおかしいんじゃ、、、と思ってしまう。
翌日無事に来たのでまた病院へ。
ピルにより卵胞が抑えられているので4つしかなかったけど、これを採卵時には11個ずつにはしたいと言っていた。
保健体育の授業も真剣に受けてなかったから、もうなんのことやらよくわからないけど、先生の仰せの通りに。
生理が来たら注射が始まります。
これはインスリンの注射器のようなもので、1日2回おへその周りに打ちます。
この注射で卵胞をどんどん増やしていくのだそうです。
2015年9月19日
『採血三昧』
採血まで、頻繁に病院に行きます。
その度に、採血と超音波で子宮の具合を見ます。
この日は卵管の通りを見るゾンデ診をして、試験管10本分の血を摂りました!
本数の多さにびっくりしたけど、結局30ccくらいのものだそう。
試験管みたいなものにそれぞれ必要な血の量だけが摂れるように圧がかかっているそうです。
ピルを飲み始めてなんとなく気持ち悪くてむくんでいるような気が
この時期私に会った人で「太った?」って思った人、それはきっと薬のせいですからね!
巡業が続き体調が心配。

 

2015年9月16日
『記者会見』
WAVEさんの大会で記者会見をやらせていただきました。
 
(以下、ブログより抜粋)
完全なる私事と完全なる仕事の重大発表をしました!

わたくし、旧姓・広田さくらは、年内の活動をもって、来年から産休という事で、プロレス活動をお休みさせて頂くことになりました!

産休って言っても、ご安心下さい。
まだ、いませんよ!

じゃぁ妊活的な事?
って思われるかもしれませんが、それも違います。

私達夫婦は、不妊症と向き合ってきました。不妊症といっても原因は様々で、私達の場合は、男性不妊です。

男性不妊といってもまた様々な原因があるのですが、主人の治療と手術の結果、顕微受精という方法で、妊娠できる兆しがありましたので、年内の頂いているオファーを全てこなし、来年からその治療に専念する事にしました!

本当は、ギリギリまでプロレスを続けたかったですが、プロとして、少しでも妊娠する可能性がある立場なら、それが原因でオファーをキャンセルすることは、あってはいけないと思ったので、妊娠はしていませんが、休むという選択をしました。

そして、なぜこんなにも全てをカミングアウトするかというと・・

プロレスは、勇気や元気を与えられるものだと思います。そしてプロレスラーは何かを発信していかなければならないと思います。

私が告白する事で、同じ境遇や、不妊と向き合っている夫婦に少しでも元気をあげられるかもしれないと思ったからです。

でも、これは夫婦の問題です。私がどのように発表しようか迷ってい時、
主人が「俺のこと言っていいぞ」と背中を押してくれました。

男性として、自分が不妊だと公表することは、すごく勇気がいることだと思います。


でも自分が先駆者になる事で、不妊の現状というものを知ってもらったり、たった1組の夫婦でも、救われればという想いで公表していいと言ってくれました。

私は、不妊は同情される事でも助けを請う事でもないと思っています。

ただこの事が、誰かの何かのきっかけになれればと思い発表しました。


私の活動や想いを理解して応えてくれた主人を、本当に尊敬します。

結局のろけてすみません。
 
 

2015年9月14日
『採卵に向けて』
精子を採取した事で、男性の役割は終了です。
生理が来たら、採卵に向けてスタートです。
初心者だった私がびっくりしたのが、生理2日目に来てくださいと言われたこと。
生理2日目って、超ピークじゃん!恥ずかしいな。
と頭をよぎったものの、先生方は100戦練磨、逆に失礼。と思い直す。
生理3日目からピルを飲み始める。
自然周期の生理を一度止めて、今度は薬の力で生理を起こすためです。
おそらく明日には止まるでしょうと言われ、「ホントに〜?」
と思っていたら、翌日ピタっと止まりました。薬スゲ〜!
1cmにも満たない薬で、ここまでの威力があるって、薬って正しく飲まないといけないんだなと戒める。
ピルは決まった時間に飲まなければいけないので、時間にだらしない私はタイマーかけたり、いろいろ工夫する。
この頃からマルチビタミンを葉酸を飲み始めるように勧められる。
念のため、お酒は?
と聞くと、「今はそこまで気にしなくても大丈夫ですよ」
とのこと。
しめしめ。
この頃から自主興行に向けて色々動き出す。そして、試合数も多く、逆算して病院に行く日に被らないよう調整が始まる。

 

2015年9月ある日
『変化』
主人は、先生が「あ、精子いますね」と言われた時、
思わず「よっしゃーーー!」と叫んだそうです。
どれほど嬉しかったでしょうか。
色んなものから解放されて、安心して、
子供好きだから余計に色々悩み、思うところもあったでしょう。
しかし解決されていない問題が1つ、
告知方法。
興行タイトルも決まりません。
そんなある日、
「不妊治療で休むていっていいぞ」
と主人。
さらに
「男性不妊って言っていいぞ」
と、
最後に
「子供もリングに上げねーとなぁ〜」
ってそこまでいいの?!
自分に精子があった事でここまで変わるとは。
男性不妊の治療をして、世間の不妊に対する認知度は上がってきたものの、まだまだ知られていない事が沢山あり、周りに話している中でその人の不妊に対する誤解だったり、色々感じるところがあったようです。
そんな“男性不妊の現実”を知り、自分が公表する事で、少しでも誰かを励ますことに繋がればと思ったそうです。
気が変わらないうちに全て動き出し、無事『産休興行』の入稿を終えたのでした。

 


2015年9月10日
『手術当日』
前日から手術に備え、最後の晩餐は『うな重』で精力つけて?朝も早くに粛々と病院へ。
TESEは部分麻酔なので、
主人曰く「感覚はわかる」とのこと。
ざっくりと説明すると、
タマを1cmくらい切り、そこからぷるんと中身を取り出します。
中身は毛玉ボールみたいで、精子の詰まった管がグルグルになっていて
その太いものから顕微鏡で見ながらピンセットで元気な精子を取っていきます。
その時点で精子がいなかったり死んでいたりしたら、細い管を探していきます。
この、細いのに切り替える時それは『非閉塞性無精子症』になり、金額も手術時間も切り替わります。
切り替わる時は先生が奥さんにも確認に来るそうです。
太いのにもいないから細いのにはたしているかどうか、お金もかかり、やってもいないかもしれないけど、どうされますか?と。
旦那はタマの中身むき出しになってるし、即決を求められるし、考えるだけでも壮絶です。
リミットは20分、私は別室で待たされていましたが、長い長い20分でした。
ゲームやって待ってたけど。
20分経ち、程なくして廊下から主人の声が!
あ〜〜〜〜〜〜!よかった!
後は私に任せろ。

 


2015年7月ある日
『辛い期間』
今思えば、手術日までのこの期間はあまりいいものではありませんでした。
喧嘩が絶えず、どう告知するかも平行線で、夫婦の空気がとても重苦しかったです。いつもか?
告知については、
主人は、一切公表せず進めて、妊娠したら暫く体調不良で休めばいい。
不妊というのも言わず、子供が産まれてもそれを仕事に繋げるな。
という意見。
私は、そもそも最後に自主興行をしたい、不妊も告知したい。でもデリケートな問題だから、私が不妊ということでいい。子供産まれたらいずれリングにもあげたい。(映画版『リング・リング・リング』のラストシーン的な)
と全く真逆。
主人の気持ちも理解はできます。
自分が原因で、まだ生きた精子がいるかも確実ではない、という状況は、どれだけプレッシャーがかかり、苦しんでいたことでしょう。
そんなこんなで、色々解決しないまま手術が近づいてきます。

 


2015年7月1日
『精巣内精子回収法』
 
主人の症状は、『閉塞性無精子症』という症状です。
これは、通り道に問題がある場合の症状です。
無精子症にはもう1つ、精巣自体に問題がある『非閉塞性無精子症』があります。それぞれ手術内容が異なり、閉塞性は20分、非閉塞性は2時間と、時間も金額も異なってきます。
 
ちなみに、
閉塞性手術は、162000円。
非閉塞性手術は、432000円。
 
これプラス、染色体検査や遺伝子検査、諸々の薬代で大体、83000円くらいかかります。
 
開けてみないと確実にどちらか分からないのですが、触手などでは、閉塞性だという事でした。
頼むよ〜。頼むから閉塞性でいてくれ〜!
 
とにかく開けないことには何も始まらないので、早速日程を決めます。
「精巣内精子回収法」“TESE”というやつです。
手術する曜日も人数も限られているし、その時点で最短でも一ヶ月後からしか空いていませんでした。
 
主人の仕事上、夏は蒸れやすいし、仕事も休めないというので9月10日に決定。
 
その後は、私が採卵し移植になります。
 
採卵から移植まで、念のため2ヶ月は空けた方がいいという話だったので、
 
主人の採取後すぐ採卵に向けて治療し、採卵して体を休めて来年に移植というスケジュールにしました。
 
だからその時点で、私は翌年からの活動休止を決め、最後に自主興行をしたかったので、会場も押さえました。
 
 
年内休止
自主興行12月12日
9月中旬にはチケット発売
チケット&チラシポスター入稿9月上旬
 
という逆算で、
9月10日手術&入稿は、ギリでした。
 
それも、
精子がいた場合は『産休興行』
いない場合は従来の『人妻興行』
という、2パターンのデザインを考えていました。
 
しかしこの時期、どのように告知して休むかで夫婦間で意見がまとまらず、
話し合いの度に険悪な空気になっていました。

2015年7月
『治療スタート』
結局最初の病院に出戻って来た私たち。
でも他の病院に行ったり電話で調べたりして改めて思ったのは、やっぱり最初の病院が一番丁寧で、不妊を突きつけられた患者に対して、どの先生もスタッフも配慮ある物腰だったり、対応だったという事です。
病院には沢山の先生がいますが、その中の1人とどうもそりが合わなかったり、受け付けの人たちの電話対応の雰囲気がちょっとな〜。
と思う病院もあって、技術の面でも精神的な面でも、信頼できる病院に通えてよかった!
この病院で、妊娠まで本格的な治療をスタートさせたのでした。

 


2015年春先
『素人考え』
次の病院でも結果は同じでした。
さらに、その手の本格的な男性不妊の治療は本当に限られた病院しかやらないので、ウチではやっていないとの事、聞けば最初に行った病院は、不妊・男性不妊の最先端の治療をしているところで、その病院の先生ですら「あ〜、そこの病院だったら治療は間違いないと思いますよ」とまで言われました。
金額も、若干の違いはあれど、大体そんなもんだという事も分かりました。
大体そんなもん、という金額は、
・男性のTESE手術
・女性の採卵手術
・凍結やら
・顕微授精処置
・薬代やら
で、大体150万。
目ん玉飛び出るわ〜。
それを聞いてもまだ、もっと他の方法があるんじゃないか。と探していた私。
往生際が悪いというか、、、。
もっと他の方法というのは、
・そもそも主人の症状を治す手術は出来ないのか。
・精子バンクとはどういうものか
・里子?
など、もう本当に色々考えたり調べたりしました。
でもどれも取り敢えず白紙にして、
最初に行った病院に行こうと決めました。

 


2015年春先
『男性不妊を知る』
男性不妊という事で、専門の不妊病院を探し漁る。本当に漁るくらい探し、何件も電話し、何度も同じ説明をし、何度も同じ説明を受け、大体全貌が見えてくる。
不妊病院は数あれど、本格的な男性不妊を扱う病院は数少ないという事。
お値段もね〜。ね〜。
かろうじて家から近く、ついに専門の病院へ初診に!
まずは夫婦で従来の検査。
そしてやはり主人に問題があると診断が下りました。
精子が0。
この場合の解決法などの説明を受ける。
今思えばその時は、
・精子が0でも睾丸には元気な精子がいる可能性が高い。
・この症状で妊娠するには、男性にTESEという手術を行い、顕微授精でしか方法はない。
・その場合の金額はざっとこれくらい。
という説明を丁寧に受けたのですが、私たちは、
もっと他に方法はあるはずだ。
もしかしたら間違いかもしれないし。
でら高けぇ〜。もっと安く済む方法ないの?
という思いが駆け巡っており、セカンドオピニオンに行くことにしました。
と言っても別に紹介状を書いてもらった訳ではなく、「ちょっと考えます…」と言ってその隙に勝手に他の病院に行きました。

 


2015年春先
『夫婦会議にて2』
作るなら本当に早くしないと。という会話が多くなるも、全く関係ないくだらないことで夫婦喧嘩勃発。
でもその喧嘩で何かが変わったらしく、私が家に帰ると、キッドで調べて判定も見たようでした。
その時の、現実を突きつけられた主人の心中を察すると今でも胸が痛みます。
でも第一歩だ!

 


2014年秋頃
『夫婦会議にて』
結婚も3年目、主人はすっごく子供を欲しがっていました。子供を作るなら私も年齢があるし、産んでも絶対復帰したいから、作るなら本格的に早く作ろうと決定。でも主人は、たぶん自分に原因があるだろうと前々から言っていました。
だったらなおさら早く調べて、解決法があるなら取り組もうと、私はネットで『15分で判定、精子キッド』的なものを購入。
でもなかなか主人は調べません。
やっぱり自分で言っているものの、
違うと思いたい。
そうこうしてる間に子供できるんじゃね?
という狭間で揺れていると思い、そっとしておく。